第一部分:完型(1*20=20分)どこかへ旅行がしてみたくなる。しかし別にどこというきまったあてがない。そういう時(shí)に旅行案內(nèi)記の類をあけて見ると、あるいは海浜、あるいは山間の湖水、あるいは溫泉といったように、行くべき所がさまざま有りすぎるほどある。そこでまず1. 溫泉なら溫泉ときめて、溫泉の部を少し詳しく見て行くと、各溫泉の水質(zhì)や効能、周囲の形勝名所舊跡などのだいたいがざっとわかる。1.A.どうも B.かりに C.まるで D.たぶん しかしもう少し詳しく具體的の事が知りたくなって、今度2. 溫泉専門の案內(nèi)書を捜し出して読んでみる。2.A.の B.で C.は D.に そうするとまずぼんやりとおおよその見當(dāng)がついて來るが、いくら19. な案內(nèi)記を丁寧に読んでみた13.ところ 、結(jié)局ほんとうのところは自分で行って見なければわかる3. はない。19.詳細(xì) A.こうせい B.こうさい C.しょうせい D.しょうさい13.読んでみたところ A.どんなに節(jié)約をしたところで、毎月赤字だ。B.この部屋は恩を読むところで、喫煙室ではありません。C.メールを送信しようとするところで、停電してしまった。D.犬は道を渡ろうとしたところで、車にはねられてしまった。3.A.ほか B.ほう C.もの D.はず もしもそれがわかるようならば、うちで書物だけ読んで4. わざわざ出かける必要はないと言ってもいい。4.A.あれば B.いれば C.やれば D.くれれば 次には念のためにいろいろの人の話を聞いてみても、人5. かなり言う事がちがっていて、だれのオーソリティを信じていいかわからなくなってしまう。5.A.において B.に応じて C.によって D.につけて それでさんざんに6. *後には、つまりいいかげんに、賽さいでも20.投げると同じような偶然な機(jī)縁によって目的の地をどうにかきめるほかはない。6. A.調(diào)べる B.調(diào)べた C.調(diào)べている D.調(diào)べていた20.投げる A.ま B.さ C.な D.と こういうやり方は言わばアカデミックなオーソドックスなやり方であると言われる。これは多くの人々7. 最も安全な方法であって、こうすればめったに大きな失望やとんでもない違算を生ずる心配が少ない。そうして主要な名所舊跡をうっかり見落とす気づかいもない。7.A.につれて B.に対して C.に伴って D.にとってしかしこれと14.違ったやり方もないではない。14.違ったA.飛行機(jī)は晴れ渡った空を飛んでいるB.そうだ、今日は私の誕生日だった。C.あの店は子供の頃よく行ったお菓子屋です。D.昨日、雪が降ったので開會式は延期となった。 たとえば旅行がしたくなると同時(shí)に最初から賽をふって行く所をきめてしまう。あるいは偶然に読んだ詩編か小説かの中である感興に打たれたような場所に決めてしまう。そうして案內(nèi)記などにはてんでかまわないで飛び出して行く。そうして自分の足と目8.で自由に15.気の向くままに歩き回り見て回る。7. A.で B.に C.と D.を 15.気の向くA.勝手に振る舞う。 B.思う通りに行う。C.ある事をしたい気になる。 D.満足が行くように行動する。 この方法はとかくいろいろな失策や困難をひき起こしやすい。またいわゆる名所舊跡などのすぐ前を通りながら知らずに見のがしてしまったりするのは有りがちな事である。これは危険の多いヘテロドックスのやり方である。これはうっかり一般の人にすすめる事のでき9.かねるやり方である。8. A.かねる B.かねない C.かねている D.かねていない しかし前の安全な方法にも短所はある。読んだ案內(nèi)書や聞いた人の話が、いつまでも頭の中に巣をくっていて、それが自分の目を隠し10.耳をおおう。10.A.首 B.鼻 C.口 D.耳それがためにせっかくわざわざ出かけて來た自分自身は言わば行李の中に16.でも押しこめられたような形になり、結(jié)局案內(nèi)記や話した人が湯にはいったり見物したり享楽したりすると同じような11.ことになる、こういうふうになりたがる恐れがある。もちろんこれは案內(nèi)書や教えた人の12.ミスではない。16.行李のなかでもA.そんなこと誰でも知っているでしょう。B.いつでもかまわないから來てください。C.これぐらいのことは小學(xué)一年生でも分かる。D.予算が余ったから、おいしいものでも食べようか。 11.A.ところ B.つもり C.こと D.わけ12.A.ミス B.コース C.ルール D.ミックス しかしそれでも17.結(jié)構(gòu)であるという人がずいぶんある。そういう人はもちろんそれ18.でよい。17.それでも結(jié)構(gòu)である。A.文章の結(jié)構(gòu)を考える。 B.Sサイズで結(jié)構(gòu)です。C.結(jié)構(gòu)なお住まいですね。 D.日本語の発音も結(jié)構(gòu)難しいものだ。 18.それでよいA.寢不足で朝からあくびの連続だ。B.彼女はただ頷くのみで、何も言わなかった。C.後で片づけるから、そのままで大丈夫だ。D.大學(xué)生の就職狀況についてアンケートで調(diào)べた。203日語閱讀
閱讀一(21-25)21.文中「失禮ではないか」とある、なぜか。A.大學(xué)者にお茶を出していただくのはよくないからB.大學(xué)者の時(shí)間を少しでも無駄にしてはいけないからC.仲人のような依頼は対面で頼んだほうが禮儀正しいからD.依頼を受ける人は大學(xué)者なので、時(shí)がとても貴重だから 22.文中「合理的ではないか」とある、筆者はなぜ「合理的」と考えるのかA他の人に腹を立たせることがないからB訪問より禮儀正しいし、失禮ではないからC依頼する相手に対しては失禮にならないからD形ばかりの禮儀作法などがなくても用が足りるから 23.「このほう」とある、何を指しているか。A締切日に間に合うように原稿を必死に書くことB締切日に原稿を完成しないのは一度もないことC締切日の見當(dāng)がつかなくても原稿を引き受けることD締切日までに出來るか否かわからない時(shí)は原稿を引き受けないこと 24.文中「一片の紙片…好きである」とある、筆者はなぜそう思うか。A苦労してまで訪ねできた編集者との接觸のほうが嫌いだからB電話や面會より文字もほうが依頼內(nèi)容わかりやすいからC手紙のほうが形式的な禮儀作法を略してもいいし、斷りやすいD手紙で頼まれた方が電話より正式と感じる25.文章の內(nèi)容に合っているものはどれかA電話で頼むとき、直接要件を言ってもらいたいB編集者がたびたび電話して、締切日のことを注意するCわざわざ苦労して、私の家訪ねてくる人に頼まれると、嫌になるD編集者からちょっと會いしたいという電話が來ると、失禮だと思う 閱讀二(26-30)26.「どのようにでもその空間の用途を自在に演出することができた」とある、どういう意味。A多用途に部屋のスペースが活用できたB広い部屋で劇を演じることができたC欲しいまま部屋を舞臺とすることD部屋の空間を活用して、劇まで演じられる 27.文中「伝統(tǒng)的空間処理法」とある、どんな方法。A使わないときしまっておく方法B用途に応じて家具を組み合わせる方法C機(jī)や椅子などを住宅付帯整備にするD動かすことのできない小道具を活かす 28.「大正時(shí)代…賢明」とある、そういう理由はどれか。A動かしやすい家具だけ部屋に入れたB西洋家具の長所を日本に取り入れたC家具の獨(dú)立の「応接間」に集中管理したD自由な空間を保つために、家具はいっさい部屋に入れなかった。 29. 文中「ア」にいれたもの応接セット、ピアノ、洋式デスク--そういったものをすべて(ア)に収容して、普段に使用する畳の部屋に家具が侵入することを防いだのである。A畳の部屋 B和室の部屋C日本の空間 D洋式の応接間 30.この文章で筆者が最も言いたいことは何かA和、洋分離して扱うのは日本人の知恵B和式家具は洋式より使いやすいC家具は和室に合わないから、日本の住宅から排除したほうがいいD家具は生活に欠かせないものだから、豪華な家具は取り入れないほうがいい 閱讀三(31-35)31.文中に「まるで別の國…」、その理由として一番重要なのはどれかA日本人にとって空間の障壁はかつてないほど厚くなっていることB當(dāng)時(shí)の寫真にとられたものが現(xiàn)代と違った性格を持っていることC二、三代前の日本人の生活に対する態(tài)度が現(xiàn)代とは違っていることD現(xiàn)代の日本人の好奇心が外國の過去へと偏ってしまっていること 32.文中に「空間の障害がほとんどなくなり」、それはなぜかA現(xiàn)代人の生活が世界を通じて一つのものになりつつあるからB國や地方によって、人々の生活や思考などが異なっているからC寫真により、地球上のどこの物でも手近に見えるようになったからDどんな大きな出來事があっても、日本人の生活に影響することはないから 33.文中の「ア」に入れるものはどれかAするとBだからCしかしDなぜなら美術(shù)や文學(xué)の鋭敏な相互影響現(xiàn)代人の直面する問題が根本は同じであるところからきているでしょう。(ア)このように正解が僕らの生活の場として現(xiàn)実に成立したことは決して僕らが民族として辿ってきた過去を忘れるべき時(shí)が來たことを意味しないはずです。 34.文中に「民族の意識は…」、筆者はどう考えているか。A世界の一體化と民族の自覚の高まりは矛盾することであり、どちらともに高めることは大変に困難なことだB外國との行き來が多くなり、付き合いが深まれば深まるほど、自分たちの民族としての自覚も自然に高まるほかはないC世界が一つになったからといって、自分たちの民族としての過去を簡単に忘れさってしまうのは情なく殘念なことである。D今や世界は一つであり、自分たちが民族として辿ってきた過去に対して、疎遠(yuǎn)な感じを持つのはやむをえないことである。 35この文章の內(nèi)容に合っているものはどれかA現(xiàn)代の人々の生活に対する知的好奇心は明治大正時(shí)代から由來しているB昔も今もレンズの被寫體に対する無遠(yuǎn)慮なリアリズムは変わっていないC現(xiàn)代人の喜びや悩みは生活水準(zhǔn)と様式の均質(zhì)化によってもたらされたものだD生活の水準(zhǔn)と様式の平均化、一様化は政治や経済の領(lǐng)域に影響を與えていない 閱讀四(36-40)36.文中に「編集部に言われて迷った」とあるが、それはなぜかA幼年期のことなら書いてもいいが、考えがまだまとまっていないからB日本語に関わってきたが、ほんとうはまだよくわかっていないからCすでに「両國橋から」という題で文章を書くことを決めているからD人前で自慢話をするものではないと、父からよく言われていたから 37.文中に「親父のことを少し書くことから始めたい」とあるが、それはなぜかA編集部の人が父親のことから書き始めたほうがいいと勧めたからB男の子として、小さい時(shí)から心の奧で父親のことが好きだったからC父親は學(xué)歴はないが、絵や書などが好きで教養(yǎng)のある人だったからD父親に反発の気持ちもあったが、父親のことに注目もしていたから 38.文中に「こうした…一番仕合わせな時(shí)であっただろう」とあるが、なぜかA息子が自分の影響を受けて、掛け軸の勉強(qiáng)をし始めたからB自分がいいと思っている掛け軸が息子にも褒められたからC自分が掛け軸を見る時(shí)、息子がついてくるようになったからD有名な掛け軸を所蔵し、いつでも思う存分に鑑賞できるから 39.「私」の父親はどんな人だったかA少しでも余裕があると、博物館に行くほど絵や字が大好きな人だったB絵や字が好きであったが、砂糖問屋の経営もまじめにやっていた人だったC學(xué)歴がなかったため、絵や字の本當(dāng)の良さがほとんど分からない人だったD自分の息子に絵や字の鑑賞を勉強(qiáng)させたいほど、それが大好きな人だった 40.文章の內(nèi)容に合っているA「私」は店のことはよく知っていたが、絵は分からないB「私」は絵や字など嫌いだったが、店のことがすきだC「私」は店のことが好きだから、跡取り息子として育てられたD「私」は教えられたとおりに番頭を連れて新年の挨拶をした 203日語翻譯
41. 「ゆとり教育」は、子どもたちの勉強(qiáng)の負(fù)擔(dān)を減らし、心の余裕を確保して、より自由な発想を育もうという考え方に立って実施されてきた。たとえば、総合的な學(xué)習(xí)の時(shí)間として、子どもたちが課外活動や地域活動に參加できる時(shí)間を設(shè)けたり、年間の総授業(yè)時(shí)數(shù)を減らし、完全學(xué)校週5日制を?qū)毪筏郡辘筏俊?nbsp;寬松教育的實(shí)行是基于想要減輕孩子的學(xué)習(xí)負(fù)擔(dān),確保讓孩子內(nèi)心更加從容,想要培養(yǎng)孩子更加自由的想象力的這一想法。例如,設(shè)置能夠讓孩子們參加課外活動及地方活動的時(shí)間,作為綜合的學(xué)習(xí)時(shí)間,減少全年的上課總課數(shù),引入一周五天的學(xué)習(xí)制度。 42.「自分で考える力」を育てていくという「ゆとり教育」の目指した理念は決して悪くなかったと思う。問題があったとすれば、その理念が教職員や保護(hù)者にいたるまで十分に浸透しなかったことと、その理念を?qū)g現(xiàn)するための具體的施策が、教育現(xiàn)場でうまく機(jī)能しなかったことではないか。 寬松教育是以培養(yǎng)孩子自己思考的能力為目標(biāo),我覺的這個是沒有問題的。如果說有問題的,是這個理念沒有完全滲透到老師和父母的心中以及為了實(shí)行這個理念在實(shí)際教學(xué)過程中并沒有發(fā)揮到很好的作用,難道不是這樣的嗎? 42. しかし、授業(yè)內(nèi)容を自由に設(shè)計(jì)できる総合的な學(xué)習(xí)の時(shí)間をうまく機(jī)能させるには、想像以上のエネルギーを必要とした。また教員の個人的な資質(zhì)や能力に影響されることが大きく、結(jié)果的に學(xué)校ごとの取り組みに大きな差が生じたのである。 但是,老師們?yōu)榱四軌蜃杂傻脑O(shè)置綜合學(xué)習(xí)時(shí)間來有效的起到作用,需要花費(fèi)的精力比想象中還要多。另外,受老師個人水平以及能力的影響也很好,最終每所學(xué)校的努力也產(chǎn)生了很大的差別。 44. それは一部の指導(dǎo)者だけの問題ではなく、これからの社會がどうあるべきか、多くの國民にそうしたことを自分のこととして考える力が、教育の中で身に付いてこなかったからではないだろうか。 這不僅僅是一部分領(lǐng)導(dǎo)的問題,將來的社會應(yīng)該如何,大多數(shù)的國民在教育過程中并沒有掌握把這個事情作為自己的事情來思考的能力。 45.「ゆとり教育」が國の理想と教育現(xiàn)場とのギャップによって機(jī)能しなかったように、新指導(dǎo)要領(lǐng)の下でも、理想と現(xiàn)場の落差があってはならない。同じ狀況を繰り返さないためにも、子どもたちがこれからの社會で自立していくにはどんな力が必要なのか、為政者や現(xiàn)場を含め「自分で考える力」が求められている。寬松教育因?yàn)閲业睦硐牒徒逃默F(xiàn)狀存在差異,并沒有很好的發(fā)揮它的作用,在新大綱指導(dǎo)下,理想和現(xiàn)狀不能有差異。為了不重蹈覆轍,讓孩子在今后的社會中可以自己獨(dú)立思考,需要怎樣的力量呢,我覺的需要執(zhí)政者以及一線的教職人員擁有獨(dú)立的思考能力。 203日語作文
もし、もう一度大學(xué)受験の機(jī)會があれば、あなたは自分の好きな専攻を選ぶか、それとも將來的に就職に有利な専攻を選ぶか。
根據(jù)教育部的數(shù)據(jù),今年考研報(bào)名人數(shù)達(dá)到了457萬,比去年上漲80萬,創(chuàng)下歷史新高。要知道2017年的考研人數(shù)才201萬,這幾年人數(shù)直接翻了一番。相比457萬的報(bào)名人數(shù),2022年招生人數(shù)是110萬,錄取比例為4:1,有人說今年是史上最難考研年??佳惺且粭l艱辛的道路,但走過這條路肯定就是艷陽天。